森の窓
2021年08月02日
文学の好きな人がどうしても避けて通れないものが、ロシア文学だと思います。トルストイやドストエフスキーという大文豪がいます
。中でもドストエフスキーの作品『カラマーゾフの兄弟』は、百人の文学好きに、あなたの一番を挙げなさいと訊いたらその過半数の
人が選ぶかも、といえる作品です。私は若い頃、夕方の五時から明くる朝の五時まで読んだことがあります。感想は寝食を忘れおのの
きました。でも私の一番好きな彼の作品は『白痴』です。
しかしトルストイやドストエフスキーの作品は分厚いものです。ちょっと手に取るには、躊躇せざるを得ません。無理して読んだとし
ても明るいさっぱりと気分になることはないと思います。読む場合には、これも避けて通れない文学の道だと、求道者気分が必要かも
知れません。楽しいといってしまえば楽しいかも知れません。なにしろ一人で勝手に求道者になれるのですから。上手くもないゲーム
を一人でやっているよりは楽しい場合があります。
こんな難関からはと思う人に、私自身もそのようなタイプの人間なので、ここでは短編小説紹介したいと思います。ドストエフスキー
のような大作家も影響を受けたといわれ、ドストエフスキーが登場する、ほんの少し前のロシアの作家です。ニコライ・ゴーゴリです
。この人は断食して死んだといわれています。なんと「ストイックな」と思いますが、ロシアのことですから、その真実のところはど
うなのでしょうか。でも帝政時代のロシアの雰囲気や市民の雰囲気を、少しだけ知る手がかりにはなると思います。作品名は『外套』
です。短いお話ですし、難解なものでもないと思います。しかし今にして思えば、大文豪やレーニンが登場する、『夜明け前』なので
はと感じられます。もっともドストエフスキーやレーニンが登場して夜が明けたのかどうか、私たちは今でも「夜明け前」かも知れま
せんが、当時の、そして現在の人々に、ひっそりと心を寄せる手がかりの一つとなる作品のように思えます。
文学を読むことは冒険かも知れません。そのことによって大冒険家になる人もいます。またある人は大冒険家気分の人もいます。しか
し、私のような平凡な人間にとっては、一人で、そしてどこにも出かけず小さな冒険ができる一つの方法です。
(小形烈著「私の吉本隆明」より)